湊と博美とゆっくり話せた楽しさと、初めて聞いた驚きでいっぱいになったあたしの足はふらふらしていた。
酔ってもいないのに。
きれいな空に光る星。
冬だから余計に空が冴え冴えとして、星が本当にきれい。
見慣れた家。
家って言うよりは屋敷だけどね、じいちゃんの家って。
あたしが玄関で「じいちゃん、おばちゃん、ただいま」って声を掛けたら、おばちゃんが出てきた。
「おや、そこで春海くんに会わなかったのかい?」
「春海? もう帰ってたの? また、どっか行ったの?」
「さっき帰ってきたんだけどね、あんたはまだだって言ったら、『じゃあちょっと、自分の家まで行ってきます』って出てったよ。今さっき」
「春海の家……」
だったら、会わなかったはずだ。
湊と博美としゃべってたお店は、春海の家とは逆方向だったもん。
「あんたの足なら追いつくだろ」
おばちゃんは、あたしを見て手をひらひらさせた。
行っといで、という身振りだ。
「――じゃあ、ちょっと行ってくるね」
あたしはすぐ外に出た。
少し駆けていくと、春海の背中が見えた。
「春海……」
夜なので、小さく声を掛けてみる。
春海はすぐ振り返った。
「なんだ、今帰りか?」
「ううん、一回帰ったんだけど。おばちゃんが、春海は自分の家に行ったって言うから」
「まあ、とりあえず見ておこうと思ってさ」
春海は小さく笑う。
そうだよね、自分の家だもんね……
自分の家なのに、今は外から見るしかできないなんて、なんか変だけど……仕方ないよね。春海と徹くんが東京に行ってからは、管理人さんに任せてるってことだし。
しばらく歩くと、そこに「山本」という表札と、いかにも昔ながらの日本家屋、というたたずまいの家が見えた。
春海が立ち止まって、自分の家を見上げる。
夜だから薄暗いんだけど、あたしも懐かしくて見入ってしまった。
「……一年も経ってないのに、ずっと離れてた気がするなあ……」
春海は、しみじみとした口調で言った。
「やっぱり懐かしいよ」
「そりゃそうだよ、ここが春海の家だもん」
「そうだな」
「徹くんも、懐かしいだろうね」
「あいつも、そのうち連れてきてやらないとな。……もうあいつ、倉鹿に一回帰ったからってホームシックになることもなさそうだし」
「あはは。正美ちゃんがいるもんね」
「うん……」
春海はしばらく、何も言わずに家を見ていた。
あたしには計り知れない、春海と春海の家の歴史。
ずっとここで育ってきた春海と徹くんにとって、今は東京にいても、故郷は倉鹿の、この家なんだよね。
ちょっとうらやましく思う。
たった一年半しかいなかったけど、あたしにとっても倉鹿はやっぱり特別な場所だ。帰ってきてじいちゃんの家を見たら、懐かしいって思った。
でも、ここで生まれ育った春海は今、何を考えているんだろう……?
「……日向と大川、元気そうだったか?」
春海がふいに、普通の調子で言った。
「うん、二人ともすごく元気だった。進たちは?」
「明日、おまえに会うのが楽しみだってさ」
「明日は……昼前にみんなに会って、一回家に戻って荷物持って、それから駅に行くんだよね」
「そう。ひとりで勝手に駅まで行くんじゃねえぞ」
「行くわけないじゃん」
「まあ、今度は置いていかれても絶対に追いついて、俺もその電車に乗るけどさ」
「……」
追いついても見送ることしか出来なかった夏があったな、と春海は呟いて、あたしを見た。
「あれから、まだ一年とちょっとしか経ってないんだよな。信じられるか? おまえ。色々ありすぎてさ」
「うん……」
……本当に、色々ありすぎたよね。
変わらない春海の家の前に立つあたしたちは、もう中学生じゃないし倉鹿に住んでもいない。
あたしたちは、もしかしたら、もうすぐ約束をするかもしれない。
とても大事な約束を。
ただの口約束っていうのじゃない。大人が何人もあたしたちの間に入ってきて、顔も知らないような偉い人にお世話になって、あたしと春海は未来を約束するのかもしれない。
この家の主である、春海のお父さん。
春海の弟の徹くん。
そして……もういないけど、子供の頃のあたしを慰めてくれた、優しい春海のお母さん。
その全部が、ただ通り過ぎただけの思い出じゃなくなってくる。
こんなことってあるのかなあ、って思うよ。本当に。
もうほとんど忘れかけていた思い出の中の男の子――あの子が今、こんなに背が高くなって、こんなにあたしの近くにいるなんて。
「いるか」
「ん?」
春海があたしの手を取った。
「明日、みんなと会う前に、行きたいところがあるんだ」
何だか、あたしは春海のその先の言葉を知っている気がした。
「お袋に会ってやってくれよ」
「……今ね、あたしもお母さんのこと思い出してた」
「ああ」
春海はちょっと笑った。
「そうか。おまえ、一度はお袋に会ってるんだったよな」
「お母さん、もう今のあたしを見たって分かんないだろうけどね」
あの時は、春海のお母さんの前ではただ泣いてるだけの子だったし、あたし。
「分かるよ、きっと」
春海の顔が近づいてきて、おでこが熱くなった。
両手を取り合って、今度はくちびる。
もうほとんど人通りがないとは言え、結構、春海は大胆だ。ちょっと息切れしそうなほど、長いキスだった。
おそるおそる目を開けると、見えるのは春海の瞳と夜空。
――ああ、倉鹿の夜はほんとうにきれい。
泣きたくなるほど、きれいだね。
「……帰ろうか」
そっと呟くように春海が言う。
あたしも頷いて、二人で歩き出した。
今は、如月の家へ帰る道。
明日は、東京へ戻る道を二人で行く。
「明日、お母さんのところにお花持っていこうね」
「うん」
当たり前のように手を取り合って帰る道。
それがどこであっても……
二人でいれば、それは家へ帰る道かもしれないね。
*****
自分用メモ:倉鹿帰郷スケジュール
金曜日の夜、東京発→土曜の朝、倉鹿着。
土曜日は昼あたりまで如月宅でちょっと寝て、午後から女子会&男祭りと別行動。今回の話は、時系列で言うとその直後。
日曜日、オールスターと歓談してから午後、東京へ。
月曜日に絶対間に合わないといけない高校生は、ゆっくり旅行もできないなあ。
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