[17回]
昔むかし。
あるところに、人並みはずれて容姿美しく才能があり、しかも努力を怠らない王子様がおりました。
生まれながらに身分のある人間というものは、自分の勤勉の結果でもないその地位に胡坐をかき怠惰を貪るというのが常でありますが、その王子様は志高く、人々からも一目置かれる存在でした。
王子様には、強大な父王がおりました。
すぐれた手腕で国を統治する王のそばで、王子様は後継者としての責任というものを学んでいったのかもしれません。
いずれは我が事になるのだという自覚と、責任です。
王子様と弟王子の母王妃はすでに亡く、壮大な王宮に大勢の人々がいても家族としてはたった三人。
しかも父王はいつも国事に忙しく、王子たちの住まいを訪ねる暇もないほどです。王子様は、毎日を弟王子と二人きりで過ごしていました。
王子様には、幼い頃からのすぐれた友人たちが三人おりました。
彼らと学び、競い合い、やがて彼らは国中でも最も素晴らしい若者たちという評判を欲しいままにしたのです。
王子様は努力を忘れない人でしたが、それでも、その豊かな才能のあまりに同じことを成し得ない人たちを見下してしまいがちでした。
息子の欠点を優しく指摘してくれるであろう母王妃はいませんし、父王は多忙です。それに、父王にも息子と同じような欠点はありました。
王子様は父のそんなところを少しだけ嫌っていたはずですが、このままでは父と同じになってしまうと気づく時が来るのでしょうか?
やがて王子様は美しい若者に成長し、お妃選びの話がちらほら噂されるようになりました。
しかし王子様は、女性というものにあまり関心を持てませんでした。
なぜなら、彼の周囲にいる女性たちの大半は競い合いもできず、多少厳しいことを言えばすぐに泣き、相手に気に入られるためには容易に己の意見を変えてしまう生き物だったからです。
もちろん、世界すべての女性が王子様の考えているような「つまらない女」ということはあり得ません。よくよく周囲を眺めてみれば、凛とした女性や意思のはっきりとした女性、それに多少乱暴な口をきき、その気になれば彼らと競い合うことのできる女性もおりました。
しかし王子様の心には、何も届かなかったのです。
ある年の春の日までは、何も見えていなかったのです。
◇
お姫様は、ある日突然現れました。彼女は、王子様の今まで知っていた女性の誰とも似ていませんでした。
長い美しい髪でもなく、優雅にまとめて花で飾られた髪でもなく、まるで怒れる猫のような逆立った様子です。
跳ねるように飛び回り、美しいドレスさえ纏わず男のような恰好をして王子様の前に現れたお姫様は、その国で名高い偉大な老剣士の孫姫ということでした。
常々、その老剣士のことを尊敬し教えを請うていた王子様は、驚きのあまり口が聞けませんでした。そして孫姫の方も、王子様について何も知らないようでした。
聞けばそのお姫様は、遠い国から祖父のもとへやって来たということです。
出会った途端に王子様に向かって乱暴な口をきき、女性らしくもなく飛び回るそのお姫様のことを祖父でさえ持て余しているらしく、ただただ王子様は呆れるばかり。
それでも、宮廷に出入りするからには知らぬ振りもできず、嫌々ながらも彼女の世話を引き受けた王子様の胸の扉は、彼自身も知らぬ間に小さく開かれていました。
そのお姫様は、あらゆる意味でどんなお姫様とも違う女性でした。
祖父ゆずりで剣が強く、剣を使うとき以外でも走り回り、気が強く、納得できないことには頷かず、たびたび反論を持ちかけては王子様を悩ませていました。
しかし王子様も、そういう女性を目の当たりにしたのが初めてということもあって多少の興味を持ち始めていたのは確かです。
それが単に「面白い女」というだけの興味であっても、です。
友人たちもいつの間にか、お姫様と気軽に話す仲になっていました。
少し考えなしで能天気ではありますが、明るい太陽のようなお姫様のまわりには友人がどんどん増えていきます。
お姫様に助けられた人たちや、お姫様を嫌っていたはずの人がいつの間にか親しい友人になっていくのを見て、王子様は今までの自分のことを顧みたのです。
王子様は少しずつ、周囲の人々に優しくなりました。
宮廷はとても賑やかになり、楽しい日々が続きました。
お姫様がもっと幼い頃に一度だけこの国を訪れたことがある、ということを知ったり、国でいちばん大きな湖で泳いだりしました。
春から夏へ、夏から秋へと季節は移っていきます。
意見の食い違いでお姫様と大喧嘩をした時に、王子様は自分の心が悲鳴を上げていることに初めて気がつきました。
自分は正論を言っている、間違っていないと確信はしていても心がずきずきと痛むのです。
お姫様と反目しあったままどうしていいのか分からずに時が経って、物事が何とか収まった瞬間――お姫様は泣きながら王子様の腕の中に飛び込んできました。
本当はお姫様も、王子様と仲直りをしたかったのです。
それを知った時、王子様の胸に小さな棘がひとつ。
二度と抜けない棘が生まれました。
お姫様の些細な言葉や仕草だけで、棘は王子様の胸を幾度も貫きました。
それは何度も何度も――毎日のように王子様を苛みました。
王子様の従姉妹姫が宮廷を訪れた時も、父王が王子様を遠い強大な国へ留学させようとした時も。ずっとずっと棘は王子様の心にあり、跳ね回るお姫様を見つめていたのです。
そして。
お姫様がやって来て一年になろうとしている、初春の肌寒い日。
春の花にはまだ早い日。
王子様は初めて、お姫様の心に手を伸ばしました。
今までは、そんなことを自分から望むのは屈辱だとさえ思っていたかもしれない王子様ですが、そうせずにはいられなかったのです。
たとえそれが、無様に見えようとも。
求めても得られないものだとしても、意思表示をせずにはいられない。
くちびるにそっと触れたあと、お姫様が――乱暴でおよそ女性らしくないと出会った時に思ったお姫様が――恥らうような笑顔で王子様を見つめた時。
王子様は、激しい喜びと底知れぬ慄きを感じました。
それではこれが、自分だけの花なのか。
これが、本当の春という季節なのかと。
やがて季節がまた移り、その花が自分から離れていこうとした夏に王子様は初めて――本当に生まれてはじめて、心の底から泣き叫びました。
どうして消えてしまうんだ? いやだ、どこにも行かないでくれと叫んだあと、王子様は自分がもう子供ではないことを知ります。
行かないでくれと心で叫んだ瞬間でさえ、子供だった。
今までの自分がどれほど幼かったのかということを、彼は知ったのです……
お姫様も泣きながら王子様の名前を呼びました。
いつまでもその声が響いているような気がして、王子様はその場に立ち尽くしていました。
お姫様は、自分の国へ帰らなければいけなかったのです。
いずれは帰らなければいけなかったのですが、王子様も友人たちもそのことをすっかり忘れてしまっていたのです。
――祖父である、偉大な老剣士でさえも。
いつまでも彼女はこの国にいるのだと、彼らは思い込んでしまっていたのです。
涙を拭った王子様は宮廷に戻り、父王に伝えました。
次の新しい年、強大な国へ留学するという意思を。
そこにはお姫様がいるからです。
そこに行けば、お姫様が待っているからです。
◇
昔むかし。
あるところに、人並みはずれて容姿美しく才能があり、しかも努力を怠らない王子様がおりました。
華やかに見えてずっと心寂しかった王子様。
その心の火を灯したお姫様を追って、王子様は東へ向かいます。
彼女が世界でただひとりの、自分だけのお姫様。
春の光を灯してくれた、小さな花のようなお姫様。
そして王子様は、東の国でお姫様と再び出会うことになるのです……
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ときどき私は、無茶な制限を自分で設けてチャレンジャーになりたがる。
今回の縛りは「絵本調」「セリフなし」「人名なし」です。
それ以外はしかし、私の考える「春海という少年の変遷記」そのまんまだと思います。久しぶりのファンタジーカテゴリーだ!