故郷の親友から『口も悪けりゃ手も早い』とお墨付きを貰ったところで、何がどうなるという訳でもなかった。
ドアをくぐる時こそ、彼が今までほとんど目にしたことのないはにかみの表情を見せたものの、入ってしまったあとはいつもの通り。
彼女にとっては、はじめての彼の家。はじめて二人きりで過ごす時間――家族が留守をしていたのは、ただの偶然ではあったのだが。
十五歳が十六歳になって、身につける制服が変わったところで彼女は変わらない。いや、もちろん変わった部分は少なくないだろう。半年の間、彼女の毎日を彼は知り得なかったのだ。それは彼女の方も同じ条件だったのだが、彼は自分だけが損をしている気分になった。離れている間の彼女の顔は、もう見ることができないのだ……
それはともかく、内面は――里見学習院への受験を決め、勉強に励み、合格したのだから――大きく成長したであろう彼女だが、見た目は制服以外同じだった。
意識した様子でもなく彼の手を取り、怪我をしてしまった長い指を心配そうに見つめる。手当てしなきゃ、と呟きながらきゅっと握る。大仰に形容すれば、ただそれだけの仕草でも『互いの肌が触れ合う』ということになってしまうのだ。
肌が触れる。
もっと触れたいと思う。手だけでなく、その髪やくちびるにも。
けれど……彼はこっそりため息をつかずにいられない。
ああ、懐かしい故郷の悪友たちよ。早いに越したことはなかろうが、それも相手によりけりだ。まだまだ手を出すなんてとんでもない。夢の話だ。
そんな彼の目の前で、彼女はやはり悪意も媚びもなく罪を重ねる。――立ち上がろうとしてスカートを揺らせた結果、すんなり伸びた細い脚の大部分があらわになったのだ。
(何だ、今のは……おい、ふざけるなよ。いい加減にしろよ。最初から腕も足も見える服を着てるのとは、話が違うんだぞ)
「ん?……手、どう? 大丈夫? さっきより痛くなったとか?」
「……いや、もう大丈夫」
「よかったあ。さっそくレギュラーになっちゃったピッチャーの、大事な大事な手を怪我させる訳にはいかないもんね。……え? 駅まで来てくれるの? ありがとね」
新しい家のドアは閉じられた。
倉鹿のように簡単には行き来できなくなってしまった二人の距離。それでも、やっと近くなったのだから焦る必要なんてない――いや、焦ってるんじゃない。そばにいるなら触れたいと思うのは当たり前じゃないか……当然と思っているのは自分だけなのだろうか?……彼はまた、息をついた。
駅への道。
彼女が指し示す小さなグラウンドにも問題の種がいて、彼は少々混乱してしまう。
家が近いとは知らなかった。それに、あれほど楽しそうに子供たちを指導している彼がなぜ、学校では留年の問題児となってしまったのだろう……
ざわつく胸が彼に告げていた。
――早いに越したことはない。その言葉は、彼女以外には非常に有効だ。
何かある。何事か、誰も知らないことが起きたのかもしれない。知るのなら、早いに越したことはない。
「そっか……春海、あの東条巧巳と知り合いだったなんて」
「知り合いっていうか、俺が一方的に負けただけ」
「……なんか、いろいろあるね。高校生にもなると」
「そうだな。おまえも、入学早々いろいろと……仲直りしたのか? あの犬養って子とは」
「えっ……まあ、その……どうなんだろ?」
彼女は首を傾げて、ごまかすように笑った。バイトが忙しくてそれどころじゃないよ、とは言うものの、部活に加えて毎日バイトで顔を合わせなくてはならない現状、口を聞かずに陰湿に無視し合うなどということは不可能だったに違いない。――性格からしても、そんな手段は彼女には似合わなかった。
言うだけ言って、戦うだけ戦ったあとは相手を認めるのだ。ずっと昔からそうだった。
「でも、やっと新しいおうちも見られたし。徹くんも元気そうでよかったよ。今度は春海、いつでもうちにも来てね? あたしの家は初めてじゃないんだしさぁ」
「……どういう顔して?」
「どういうって? 何が?」
「……」
僕が娘さんの男です、という顔で自宅を訪問してもいいのだろうか、という意味だ!――しかも、もうとっくの昔に泊まったこともあるので家の構造まですっかり飲み込んでいます……と、初対面の彼女の家族に彼が言えるはずもない。余計なことまで口に出す必要はないだろう。
駅の改札口で、彼女は大きく手を振って駆けていった。
彼も同じようにして応え、彼女を乗せた電車が見えなくなってようやく何度目かのため息を洩らす。
(東京に行けたらそれで十分だと思ってた。あいつが里見じゃない高校に入ったとしても、倉鹿とは比べ物にならないぐらい近いんだから……なのに、来れたら来れたでもう早速、見てるだけじゃ我慢できなくて……ゆびを、あの髪を……さわりたいと思ってる。おまえの言う通りだよ、進。俺っていう奴は、まったく、どうしようもねえ)
新しい家までの帰り道、彼は大いに煩悶した。
もしも他の男の前で、あんなスカートの扱い方をされたら……脚が……
(倉鹿が懐かしくなっちゃった。ハナズオウ、きれいだよね……)
そうだな、いつかおまえと一緒に帰りたいな。
……そう言って盗めばよかった。くちびるを。
四月は喧騒の季節。
新しい環境に慣れるまで、彼も彼女もまだまだ時間が掛かりそうだ。
[32回]