「今度ね、徹くんと正美ちゃんが動物園に行くんだって。巧巳が連れてってあげるんだって」
それは微笑ましい光景だな。
俺はまだ徹から聞いていないけどな、そのことは。
俺の弟が、あの巧巳を義理の兄貴と思い始めてるっていうのは――まあ、それは徹の自由だ。俺には口を挟む権利なんてない。
それにしても、よりによって巧巳なのかよ、とは思わずにいられないが。
「それでね、あたしもいっしょに行かないかって言われてんの」
「……誰に」
「巧巳に」
「……」
いるかは目を輝かせていた。
そうか、それは盲点だった。
俺はごく普通に、映画とか買い物とか、高校生らしい常識的な二人きりの過ごし方しか考えていなかった。
動物園や遊園地になら反応するのか、こいつは……
「よく考えたら、あたし、ちゃんと動物園って見たことないんだよね」
「子供の時、行かなかったのか?」
「さあ、あんまり覚えてない。春海は行ったことあんの?」
「……」
そう返されると、よく覚えていない。
行ったことがあったとしても、それは俺が自分で歩けもしなかった頃じゃないのだろうか……だいたい、親父にそんな暇があったのかどうか。
「だからね、日曜日に行くんだけど」
「……」
とりあえず、話を聞き終わってから怒り狂えばいいと思った。
このまま話が終わってしまうのなら、また体育館の裏にでも巧巳を呼び出す必要が……いや、何もそこまでする必要はないのか……
「春海も行かない? 動物園とか興味ない?」
「行くよ。徹の世話を巧巳に任せっきりにする訳にはいかないだろ」
「そっかあ。やった、遠足みたい!」
「……」
映画は二時間も座っていられない、飽きると言う。
スポーツ観戦するぐらいなら自分で動いた方がいいと言う。
買うものなんてないから、渋谷だの原宿だのに出るのは面倒だと言う。それにしたって、自分の服ぐらいは自分で買っているはずなんだが……
そんないるかが行きたいと思う場所、それは……小さな子供が喜ぶようなところだったのか。
巧巳も巧巳だ。自分の妹と徹だけ連れていけばいいものを、なんでいるかを誘ったりするんだ?
まあ、徹はもともといるかを好きだし懐いている。巧巳の妹もいるかを気に入っているらしいし、必然かもしれないが。
「おやつ買っておかなきゃ」
「遠足かよ」
「お弁当も持っていかなきゃ」
「売店ぐらいあるんじゃないのか?」
「だって遠足なら、やっぱりお弁当じゃなきゃ」
「遠足じゃないだろ……」
目に見えてはしゃいでいるので、それ以上突っ込むのはやめにした。こういう時、違うクラスだと話題に時差ができてしまうのがなあ……少し引っ掛かる。
まあな、どうせ巧巳はそれを承知でやっているんだろう。それならそれで、便乗してやるだけだ。利用するものは利用する。
「わあ、大変。何時に起きればいいのかなあ」
「……」
興奮して、そこまで考えてしまうのか。
ますます幼稚園児のようだ……幼稚園児の反応を見たことはないけどな……
学校からの帰り道、そろそろ駅が見えてきた。
「今日は無理だから……明日いろいろ買い物しなきゃ」
「あんまり興奮すんなよ。はしゃぐのは小学生たちの役目だからさ」
「あっ、そうかあ。そうだね」
いるかは、俺を見上げて照れ笑いをした。
「お弁当、何を作ろうかなあってつい考えちゃって」
「――なに?」
思わず聞き返した。
……どういうことだ?
「弁当って……」
「え、だって。日曜日に母ちゃんにお弁当作ってなんて言えないじゃん。だから、まあ、自分で作ろうかなって思ってさ」
「……」
「ええっと……」
俺の沈黙を、いるかは実に的確に捉えたようだった。少し首を傾げて、わざとらしい大声を出すのが……何とも……何とも形容し難い感情に襲われる。
なあ、毎日おまえを見てるだけで十分だよ、俺は。
動物園とかどうでもいいよ。珍獣なんて思ってる訳じゃなくてさ。
「あのね。あの、すごく適当……だよ? きれいに作れないよ、あたし」
「……うん」
「おいしくないと思うし……」
「俺の分も作ってくれるのか?」
「うん……おいしくなくてもいいって、春海が言うならさ……」
巧巳、今この瞬間だけは少しだけ、おまえに感謝する。
「そっか。じゃあ、楽しみにしてるよ」
「だからあ、期待しちゃだめだって」
そう言えば、夕食の支度をたまに自分ひとりですることもあると、いつか聞いた気がする。――もともと、俺のために傷だらけになってチョコレートを作ってくれるような、そんな可愛い女なんだよな、おまえ。
「じゃあ、明日また巧巳と待ち合わせとか決めるから。明日は……土曜日だからクラブで別々になっちゃうね。四時間目が終わったら2組行くよ」
「分かった。俺も、クラブでどうせ巧巳に聞いとくし」
「あ、そうだったっけ」
いるかは手を振って、長いスカートを翻した。
そして俺と反対側の改札に向かった。
「それじゃまた明日ね、バイバイ」
「うん」
行く場所が動物園だろうと、二人きりじゃなかろうと、この際どうでもいいことだ。普通じゃない出来事ばかりに遭遇する俺たちにとって、とても希少な「ありふれた」、そして穏やかな嬉しい日曜日になりそうじゃないか……
◇
「これね、梅干し。こっちは鮭、こっちの海苔なしは昆布。もうあたしったら卵焼き作るの苦手でさあ、形がこんなになっちゃって……」
「そうでもないぜ。形はともかく、味はいいって。なあ、春海」
「……」
「おにぎりおいしいよ、いるかちゃん」
「うん、すっごくおいしい。ねえ徹くん」
「……」
「この野菜炒めも、何と言うか……実に個性的な味で、俺は好きだな。切り方もダイナミックだし……いるか、今日何時起きしたんだよ」
「へへ、五時半かな」
「そりゃすごい。五人分だもんな、時間掛かるのも当然か」
「……春海、おいしい?」
遠慮がちに聞いてくるいるかに、まさか「おまえさ、こういうことはさ、二人だけで行動するとき限定だろうが」などと鬱陶しいことを言えるはずもなく、俺は笑って頷いた。
考えてみれば当然だった。
五人で集まるのに、俺と自分だけの弁当を作るより、全員の分を必死で作ってくるいるかの方が、そりゃあ俺だって好きだ。
そういういるかが好きだ……それは間違いないんだが……
――いや。これぐらい何だ、どうってことはない。
余裕を持って笑っていればいい。今度また二人でどこか行けばいいのであって、今日は楽しい家族団欒で和んでいれば……いや、ちょっと待て。
これは、家族団欒じゃねえぞ!
その後、「ふれあい動物ひろば」なる場所で、巧巳の妹といっしょになって、夢中でうさぎを抱いたり触ったりするいるかを見ていた。
徹にとっては、まだこれは――男として――めまいを覚えるような光景ではないらしい。途中から自分も駆け出していって、参加してはしゃいでいた。
いるかが屈み込んで、うさぎを抱いている。
白い毛に頬ずりしたり、長い耳を触ったり。
巧巳が俺の横で、やたらカシャカシャとカメラのシャッターを切っていたが、こいつ、本当に妹だけを撮っているんだろうか……と、甚だ怪しくなる。
「……おまえ、さっきから何枚撮ってんだ?」
「俺の勝手だろ。焼き増ししてほしけりゃ、黙っとけ」
「……」
「きっちり料金取るぞ」
「……売り手市場にも程があるじゃねえか」
「カメラ持ってきてないおまえが悪いんだよ」
「……」
「お、今のいるか、ベストショットかも」
「……ネガ全部見せろよ……」
当面の問題は、いるかに、もう少し年齢に相応しい娯楽に興味を持ってほしい、ということに尽きる。
だけど、やっぱり。
自分のしたいことをしている笑顔の方が見たいに決まっているから、俺はまた、この擬似家族団欒につきあう羽目になるかもしれなかった。

*****
駅伝後~家出前あたりの時系列でしょうかね。
9月後半ぐらいのイメージ。
東京の動物園事情はよく分かりませんので、メジャーな上野でよろしく!
(「ふれあい動物ひろば」は私の捏造です)
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