[12回]
四月が花の季節なら、五月は緑萌え、風薫るひと月だ。春が過ぎ初夏へ移っていく──ようやく新しい学校、新しい学年に慣れ始める頃。
しかし、この私立倉鹿修学院の生徒会室──通称『鹿鳴会本部』では、そんな季節にはまったくそぐわぬ渋面が並んでいたのであった。
「話し合いの余地がない以上、除名だ。素行を改める気がまったくないんだからな」
「やれやれ……」
会長の言葉に、太宰進がため息をついた。
「だったら最初から、決定戦を棄権してくれりゃ良かったのに」
「あいつは俺ら相手でも負けないって証明したかったんだろうから、それはないだろ。いいところは全校生徒に見せつけたかったのさ。なあ、兵衛」
一色一馬が同意を求めるが、その長門兵衛は腕組みをしたまま目を閉じていた。
「おい、寝てんのか。兵衛」
「いや……」
「先生方も同意の上だ、院長にも確認は取ってある。──これで最後だ」
山本春海が役員三名を見回して、最後通牒とばかりに言い渡した。
「もう一度だけ出雲谷を呼んでみろ。鹿鳴会本部まで、話し合いに来るように」
無駄だと知りつつも、新会長の春海にとっては最大限の譲歩だった。その温情が踏みにじられることは明らかであったのに。
一馬、進、兵衛の三人も、会長の言葉が報われることはないと分かりきっていたのだろう。彼らは何度もため息をつくばかりであった。
◇
道場に凄まじい気合が走り、剣が一閃した。
「やれやれ……」
一馬と兵衛が顔を見合わせた
「荒れてるなあ。まあ……仕方ないけど」
「……やっぱり、銀……出雲谷のことか」
「それ以外にあるか?」
入部して一か月も経たない春海の様子を、上級生が恐ろしげに窺っていた。
鹿鳴会では有無を言わせず会長に成り上がった春海だが、クラブとなると少々勝手が違っていた。新一年生が入学する前から既に各クラブでは主将、部長、キャプテンの地位が決定しているのだから、新鹿鳴会役員と言えどもそこには立ち入れない。
しかし三年生ですら、小学生大会で優勝経験のあるこの一年生部員に物申すこともできないようだった。
「初っ端から役員除名だなんて、そりゃ完璧主義のあいつにしたら腹も立つさ。俺らも同じだし」
「……」
「で、欠員補充をするのかと思えば、四人で十分だとか言っちまうし。まあ、実際困りゃしないだろうけど……正規の人数は来年まで持ち越しになるなんて、波瀾の幕開けだよなあ」
「俺たち四人で、何とかするしかない」
どっしりとした口調で、兵衛は頷いた。
「俺は柔道、おまえはアイスホッケーで進がサッカー。全員、剣道と掛け持ちになるけど──今年は一年生部員ってだけだし」
「その下っ端部員が、鹿鳴会役員として指導するってのもおかしな話だよな──あ、進。来たか」
道着姿の太宰進が、いつの間にか一馬と兵衛の後ろに立っていた。
「来たけどさ。──どうした、あいつ。二、三年生を威嚇してんのか?」
呆れたように言う進に、二人はまた苦笑するのだった。
「威嚇ってのは、どうかねえ? そういうのは天敵にするもんだろ」
「一馬、おまえ。ちょっとは声小さくしろ。その問題発言……先輩なんて眼中にないってこと……」
「おまえが全部言っちまってるじゃねえかよ、進」
その時、春海がふうっと息をつき、立ち昇るように纏わりついていた殺気が消えた──と、道場にいた全員には見えた。
「──じゃあ、何なんだ? あれ」
進が腕組みしつつ、唸った。
「単に荒れてるだけか。……出雲谷の件で」
「ご明察だな、太宰くん」
「馬鹿やろう」
進は、ふざけるなと言いたげに一馬の肩を叩いた。
「俺だって、おまえらと同じだけあいつと付き合ってるんだ。それぐらい分からなくてどうすんだよ」
男子部員の稽古が休憩に入り、女子が立ち会いの準備に入っていた。面を外した春海が、ある女子部員に話し掛けている。恐らく、同じ一年生だろう。
「──あれって、小学生大会でいいとこ行った日向だろ? ああ、確か春海と同じクラスだったっけ。それにしても……」
珍しいこともあるもんだ、と一馬が小さく口笛を鳴らす。しかしその瞬間、春海が顔を上げ悪友たちの方を睨みつけたので、当の一馬は「うわっ」と声を上げた。
「おい、おまえら」
日向という名らしい女子に頷いておいて、春海は三人の方に近づいてきた。
「何を、ぼうっと立って見てるんだ。これからしばらく女子の時間になるのに」
「いや、いや。おまえがあんまり凄まじかったんで、つい見とれちまった。なあ」
進がさらりと受け流し、一馬と兵衛に片目を瞑ってみせた。春海は眉間に寄せていた皺をようやく解いたが、口から出た言葉は「嘘つけ」だった。
「ところでさ、あれって日向だろ」
「ああ」
「確か──」
兵衛が重々しく口を開き、しばらく会話が途切れる。
「小学生大会で三位だったよな」
「そう、その日向湊。一年生女子のリーダー格だし、来年は女子部長になるのも確実だから、手合いで上級生に遠慮しない方がいいって今言った」
「へえ……」
女子部員の気合の声が満ちる。
四月、五月に新入部員が多いのは当然とも言えるが、果たして一学期終了時点でどれだけの数が残っているだろうか。武道、スポーツの名門校であるが故、日々の練習は過酷なのだ。
「日向みたいな女子なら問題なかったのになあ、役員」
一馬がため息まじりに呟く。
「というか、出雲谷も何だかんだでスポーツ万能の不良ってのが笑えるけど」
「……素行不良でいずれ退学になるなら、勝手にすればいい。でもな、笑えねえよ。女子サッカー部があいつに──あいつと伊勢に牛耳られたなんて。陸上五輪の前に入部されちまったのが痛かったな……それ以降なら入部禁止の口実になったのに」
「……」
手にした竹刀で、春海は床を──軽くではあったが──叩きつけた。
「進、おまえはどう思う?」
男子サッカー部の進に、春海が問いただす。
進は腕組みをして、首を横に振った。
「どうせ三年生が秋には引退するだろ。それまでは、目に見えて『牛耳る』には見せないと思うけどね。あいつらも馬鹿じゃない」
「……まあ、そうだな」
「それ以降は、先生方が判断するだろうさ。どれだけスポーツ万能だろうと、素行が悪けりゃ修学院の恥でしかないし」
「ああ……」
「でもなあ」
来年には男子サッカー部主将の地位がほぼ決定しているであろう進は、どうしようもないなというように苦笑するのだった。
「不良集団でも常勝、強豪の女子サッカー部になっちまったらどうする? 俺はそっちの方が心配なんだ」
◇
想像以上に中学生生活は忙しかった。
何よりも、鹿鳴会会長となったことが大きい。放課後はほぼ毎日、本部での会議に書類整理。各クラブを巡回しての指導、それに加えて個人の活動まであった。
毎日帰りが遅くなり、午後の空き時間が長い小学一年生の徹とはすれ違うばかりで、兄として春海には罪悪感もあった。
しかし、負った責任は果たさなければならない。
せめて、自分の親友たちに年齢が近いきょうだいがいれば徹と──と思うが、一馬と進はひとりっ子、兵衛の弟たちは徹と年齢が開いていた。
「子供時代って、学年がひとつ上か下かってだけで敬語になっちまったりするんだよなあ」
誰かが言っていた。
一年の差が天と地ほども大きい、そんな時代である。
すべての用事を済ませ、今日は親友たちと別々で帰り道を歩いていた春海は、ふと空を見上げた。
薫風が心地よい……はずだった。
緑も青空も、美しいはずだった。
友人たちと屈託なく笑い、スポーツに汗を流し、勉学に励む。家に帰れば温かい食事と、母の笑顔が待っている──そんな日々が続くと信じていた。
「……あれ、いま帰りなの? 山本くん」
感傷に埋もれる寸前、名前を呼ばれて彼は振り返る。
「──日向さん……と……」
春海は立ち止まった。
「大川さん、か」
彼女たちは二人とも同級生なので、顔はもちろん見知っていた。
剣を持てば凛々しく、大和撫子のような黒髪の日向湊と、ふんわりしたポニーテールが目印の大川博美。確か彼女は女子ソフトボール部に入部したと、春海は記憶していた。
「珍しいね。いつも太宰くんたちと一緒なのに」
「今日はばらばらなんだ。あいつらも、剣道部以外の各部で忙しい」
「大変だね、役員の仕事以外でもクラブ掛け持ちなんて。鹿鳴会の人たちってすごいなあ……」
博美が、思わずというように感想を漏らす。
「まだ大変なうちにも入らないよ。今はクラブじゃ新入部員ってだけだし──」
春海が言い継いだ。
「大川さんは、ソフト部に入ったんだよな」
「え? う、うん」
少し驚いた様子で、博美が湊と顔を見合わせる。
「どう、ソフト部は。──いや、ソフトに限らずどのクラブについても、過去何年かの実績を見るんだ、役員として」
「あ、ああ……そうなんだね」
「それで、どうも……女子ソフトは色々と芳しくないようだから」
「うん……人数も足りない状況だしね……」
「大川さんを責めてるんじゃないんだ。君だって入部したばかりだし」
思い遣るように、春海は大川博美の肩を軽く叩いた。
「存続が難しいと思うなら、俺たちの誰にでもいいから相談してくれるかな。考えるから」
「……」
博美は、とまどったように鹿鳴会会長の真顔を見た。
「考えるって、何を?……存続を? それとも……廃部?」
「──」
今度は春海が、博美を見返した。しかし、その表情にはどこか──親友たち以外の者、あるいは彼ほど優秀ではない者、事の判断のできない者を蔑むような色があったことも否めなかった。
所詮、彼もまだ、十三歳の少年でしかなかったのだ。
「そういう意味なら、きついなあ……」
そんな春海の隙間を刺すかのように、博美が言った。
相手が学校一の有名人であっても、必要以上に怯む性格ではないようだ。
「私、まだ一年生だけど……小学校の時からソフトが好きだし、何とかやって行きたいんだ。でも──人数が足りなければ即、廃部になっちゃうの?」
「博美……」
湊がそっと言葉を挟む。
「そんな急な話じゃないよ。新入部員募集だって、まだ続けてるんだし……ね、山本くん。そうだよね?」
「……」
ふいに、春海は彼女たちから目を逸らした。行き先は、空あるいは雲だった。
「悪かった。人数規定はあるにしても、新学期の一か月で断定できることじゃなかったな」
「……」
「俺たちだって、伝統ある修学院の運動部を無闇やたらに失くしたい訳じゃない。協力できることがあれば手を貸すから、頑張ってくれ。……じゃあな」
会話は終わりだというように手を振り、春海は二人を残して歩き出した。
彼女たちが自分をどのように評価するかなど、知りたくない。杓子定規な、冷たい男だと思われるだろうが、規定、規約とはそういうものだ。判断基準となる境界線は、どんな世界であろうと必要なのだ……
生徒会の役員である以上、規定は遵守しなければならない。法に疑問が生じるのなら、生徒全員に訴えて変えることは可能なのだから。
少年は歩き続けた。
その場に、隠れて居合わせた第三者の存在も知らないまま。
彼は寂しい家路をたどった。それが唯一、帰る場所であったから。
「……ああ、思い出すなあ。この時期」
黒い長い髪をなびかせて、中等部のサッカーフィールドを見守る女子生徒が呟いた。
「何を?」
「ここの校庭や校舎を見てたら、さ」
その傍らには同じように長身、長髪の女子サッカー部員が立っていて、相棒に問いかける。
「中学生の頃のこと?」
「まあ、そうなんだけど……」
「──そこ、ボールよく見て! パス受けられないよ!」
「フェイントは二段で!」
練習試合なのだろうか。彼女たちは選手に向けて声を張り上げる。
「まったく。兄貴が忙しすぎて、あたしらで中等部のコーチみたいなことをしなきゃいけないなんてねえ」
「そりゃ仕方ないよ。お兄さん、中等部と高等部サッカーの掛け持ちで、しかも授業だって毎日なんだし……お杏、妹のあんたが文句言ってたら始まんないよ」
「あんたは兄貴に甘いね」
からかうように、『お杏』が笑った。
「ねえ、銀子。もう平気なの?」
「……何が?」
黒髪をかき上げる仕草で、銀子は自分の表情を隠した。
「兄貴のことだよ」
「──泣いたところで、失恋は失恋さ。そもそも十四郎お兄さんにとって、あたしは『可愛い妹の、友だち』……女とも見てもらえなかったんだしね。もういいんだよ、その話は。杏子」
「……そう。それなら、もうあたしも言わない」
「うん」
銀子も小さく笑った。
「いい天気だねえ。今日も」
「本当に」
五月の午後、高等部から中等部女子サッカー部を指導するためにやって来たらしい彼女たちは、特に合図もなく揃って空を見上げた。
出雲谷銀子と伊勢杏子。今では、圧倒的な才能に加えて人望のある──若干、威嚇的な雰囲気は残っているにせよ──倉鹿修学院高等部の女子運動部長として、充実した毎日を送っている。
「……で? さっきの話は?」
目はフィールドに向いていたが、杏子が先を促した。
「何を思い出したって?」
「ああ、それか。……三年前の今頃のこと」
「三年前って、中等部一年生の時?」
「そうさ。あたしもあんたも……今思えば馬鹿みたいだったけど、何をしてもつまらないって拗らせて、世をすねて、悪さばっかりしてたじゃないか。鹿鳴会はさっさと除名になるし……あの時ね、あたし」
「うん?」
何かを思い出したのだろうか。銀子は再び笑った。
「春海とやり合ったんだよ。結構派手にね」
五月の風が、銀子と杏子の髪を撫でていった。
「あんたには言わなかったから、知らないだろ?」
「──初耳だよ。そりゃあ、あの当時はあたしら、山本くんのことはすかした優等生としか見てなかったけど……」
それが今では、もうこの場所に居ない彼を──そして、彼を変えた小さな、しかし強大な力を持つ親友と共に、懐かしく慕わしく思い出すことになるのだと、果たして三年前に想像し得ただろうか?
否……
「十三歳か。あの時、いるかが居てりゃあね……」
何となればその『親友』は、彼だけでなく自分たちをも変えたのだから。
「不思議なもんだね。いるかが来る前のことは、まるで開幕前だって気がするよ。……実際、あの子が現れてから何もかも変わっちまったし」
「聞かせてよ。銀子」
「いいよ。今となっちゃ、ガキ同士の衝突って感じで恥ずかしいけどね」
「三年前か。確かに、今よりもっとガキだったねえ。……それで?」
杏子がみたび催促する。後輩たちの試合運びを監督しつつ、銀子はゆっくりと話し始めた。
「何し合いに来い、素行を改めろって何度言われてもあたしは無視してた。だから鹿鳴会からも外されて……そう、ちょうど五月の今頃だよ。偶然だけど、春海が博美たちと話してるのを聞いたのさ……」
倉鹿市の五月は、過去と現在を行きつ戻りつして新緑を育んでいる。
to be continued.
*****
そうです、この話の最大の個人的醍醐味は!
銀子と春海の衝突が書きたかったんです!
(物理的ではなくて。投げ飛ばすとかは無しで)
やばい、次回が超楽しみ~☆
……書くのはおまえだ!