「新潟は、ほんと、寒かった」
まるで申し合わせたかのように、二人は夜明け前、同時に目覚めた。
車窓にはうっすらと、朝の気配を孕んだ色が出現しつつある。
目を覚ました春海は──まず、いるかの顔をじっと見た。
そして彼女の手を捜した。
「おはよう……」
「うん、おはよう」
「寝られたか?」
寝起きの彼の声は少々掠れて、しかし一瞬のうちに色を取り戻した。
「うん、まあ……でも、寝たのも遅かったし、今もこんなに早く起きちゃったね」
びっくりした、といるかは少し笑った。
あ、意識が戻ってきた、起きなきゃ……と思ったのと同時に、隣の春海が身動ぎをしたのを感じたからだと言う。彼女がまだ何ひとつ動きもせず、意識と目でしか覚醒していなかったのに、彼も同時に新しい日を迎えたのだ。
「寒くないか?……と言っても、熱いお茶ってのは無理だしな……」
「ううん、大丈夫。新潟に比べたらぜんぜん」
そして最初の言葉に繋がる訳だった。
春海も痛感していたことなので、二人は難なく同意し合った。
「──そうは言っても、新潟っていわゆる『東北』でもないんだけどな。まあ、どこだろうと寒いもんは寒い」
「うん。なんだか、東京の寒さとは違ってた……やっと着いたと思ったら、雪降ってきたし」
「……」
その東北ならぬ関東甲信越、あるいは中部地方にまで彼女だけを追ってきた春海は、今さらながらのようにため息をついた。──しかしそれはもう不安の中の吐息ではなく、安堵から来るものだったのだ。
「俺も寒かった。何しろ、朝から晩まで探し回って……手がかりも見つからないんじゃあ、何というか……精神的にな」
さすがに彼女は、心底から申し訳なさそうに彼を見た。
「ご、ご、ごめん……」
「……ここにいるんだから、もういいさ。でも、二度とするなよ」
「うん……」
「どんな事情だろうと、だぞ」
「……うん」
そう念を押されて、いるかは何か可笑しそうに──本来の彼女の表情に戻って──笑った。
「今度はどんなことでも……父ちゃんが勝手に結婚相手を押し付けてきた、冗談じゃないよ、家出する!って……ちゃんと言うよ。もし二回目があれば……だけど」
いるかの言葉の途中で既に春海は笑っていて、いるかの肩を抱き寄せる。
二人は静かに笑い合った。
窓の向こうに広がる空が、ゆっくりと、夜を脱ぎ捨てようとしている。
「そう、もし今度があれば、な! 次こそ言えよ、春海と逃げたいって」
「そ、そこまで極端なことは、言ってないよ……」
いるかはふうっと、頬を赤くした。昨夜の決定的な彼の言葉を思い出したのかもしれない。──いや、一瞬たりとも忘れてはいなかったに違いない。
百の言葉よりも雄弁な、そのひとことを。
人生で初めて口にした彼も、初めて受け取った彼女も、二度と忘れないだろう。
とても寒かった。そして、彼らの世界を変えた見知らぬ土地のことを。
「……あの……」
春海はやはり彼女の顔を、仕草を凝視していて、彼女にとってはそれが少し気になるらしい。もじもじとダッフルコートの下で足を動かし、そして、言った。
「あの……でも、新潟よりはましかもしれないけど、東京だってやっぱり寒いでしょ。あたし、帰ったらココア飲みたいな……母ちゃんがときどき、シナモン入れたココア作ってくれるの。あたしはそれにマシュマロまで入れちゃうから母ちゃんが呆れるんだけど……あのね……帰ったら、あたし、ココア飲む前に言うからね。ちゃんと言うから。心配かけてごめんなさい、でも、あたしには……いるから。春海がいるからって。父ちゃん同士で黙って企む前から、ずっと前から……」
軌道は東京に近づく。
夜明けを知らせるように、春海の唇がいるかの額に押し当てられた。
◇
あまりに小さな話なので高校生カテゴリーにしようかとも思ったのですが、一応時系列の始まりに付随した場面ということもあり時系列に収録します。
順番をつけるならフリー閲覧範囲でもあるので、全体公開にしております。
まあ実際のところ「ちゃんと言う」のはまだ少し先、家出から戻って二人で倉鹿帰京、その後になりますが。
[10回]